三大法会とは、涅槃会(ねはんえ、2月15日)、灌仏会(かんぶつえ、4月8日)、成道会(じょうどうえ、12月8日)の3つの法会をいいます。
全国各地の寺院で、お釈迦さまの遺徳を偲ぶ法会が営まれます。
平安時代末期に日照りや疫病の流行などによる社会不安の高まり、その際に極楽浄土を願う浄土信仰の貴族や庶民へ浸透しました。
この信仰が隆盛するとともに、法会が仏事として定着していきました。
お釈迦様が悟りを開いた日、成道会とは?
12月8日はお釈迦さまが「成道(じょうどう)」された日です。この日、35歳のお釈迦さまはさとりをひらき、真理(ダルマ)を獲得しました。穏やかで苦しみのない境地に達し、かつ、その境地に達する方法を見出したのです。つまり、この日こそが、仏教の始まりといえます。
成道会は、お釈迦さまが35歳で悟りを開かれた12月8日に営まれます。
旧暦の12月は臘月(ろうづき)とも言われることから、臘八会(ろうはちえ)とも呼ばれます。
お釈迦さまは、29歳で出家し、6年間の苦行の末、菩提樹の下で悪魔からの誘惑に負けずに坐禅修行を行い、12月8日に暁の明星をご覧になり、悟りを開いて仏陀となったとされています。
つまり、12月8日は仏教の教えが生まれた大切な日なのです。
禅宗ではお釈迦さまに倣い、そのみ心に触れる臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)と呼ばれる集中的な坐禅修行が行われます。
京都では、味付けして煮た大根を参拝者に振る舞う大根焚きがあり、初冬の風物詩として親しまれています。大根を食べると厄除けになると言われています。
しかし、お釈迦さまは、あっさりと成道したわけではありません。その直前に、魔(マーラ)から種々の攻撃を受けていました。魔王の攻撃は、名声や愛着に対する誘惑、危害への恐怖などをかきたてるものでしたが、お釈迦さまはそれらを見事にしりぞけた末に、さとりをひらいたのです。こうした、さとりをひらく前後の逸話は「降魔成道(ごうまじょうどう)」とよばれ、いろいろな伝承が残されています。その一つをご紹介します。
難行苦行、そして…
当初、2人の仙人のもとで思想を学び多くの修行者と語りましたが、どの教えも彼を満足させず、教えを求め、様々な行を実践したお釈迦さまでしたが、その苦悩は消えず、やがてお釈迦さまは5人の修行仲間と共に徹底した苦行にさとりの道を求めることに突入しました。
片足で立ち続けたり、山に籠り何十日ものあいだ断食を行ったりと、数々の苦行を6年も続けたといいます。しかし、体を痛めつけたり断食をしても求めている悟りに到達できません。体はいよいよ衰弱し、かえって不安や焦りが膨らむばかりとなり、このような苦行では“何事も極端に走るのではなく中道が肝心”と苦行の無意味さに気づき、さとりを得ることはできないと、35歳で6年続けた苦行を止めついに山を下りる決心をしました。他の苦行者は彼を脱落者として嘲笑しました。
お釈迦さまはネーランジャラー河( 尼連禅河=にれんぜんが)の畔(ほとり)にたどりつきました。お釈迦さまは河に入って沐浴(もくよく)し身を清めます。そして岸辺付近の木陰で休んでいるところに通りかかった近くの村娘、スジャータが作ってくれた“牛乳がゆ”の施しを受け、それを食べて徐々に体力を回復させると、ガヤー村の菩提樹の下で静かに座禅を組んで瞑想に入りました。
この瞑想の間、数々の悪魔の誘惑があったと伝えられています。
悪魔にうち勝ち…
お釈迦さまは、菩提樹の下に座すと、「苦しみから逃れる方法を見出すまではこの座を離れません」と決意し、禅定(祈り)を深めます。すると、魔王がやってきて、あの手この手で妨害します。「さとりなど、どうせ得られるはずがない。早々に国に帰って王位を継ぎなさい」とそそのかしたり、娘たちを遣わして色香で誘惑したり、猛獣をけしかけて怖がらせたり、あらゆる手段を使って禅定を阻害します。
しかし、お釈迦さまはそれらをものともせず、逆に魔王に次のように詰め寄ります。
「お前が魔王になれたのは、過去になしたたった一つの善い行いの功徳にすぎない。それに対し、私は数え切れないほどの過去世で、多くの善い行いをしてきた。その積み重ねの功徳で、今ここに座っている。お前ごときの攻撃で揺るぎはしない」
すると魔王は、
「自らボロを出したな! 私の善行は、今まさにお前が証明したが、お前の善行の証人は誰もいない!」
と言い返しました。それを聞いたお釈迦さまは、
「生類を支えるこの大地が証人である!」
と言い放ち、右手で大地に触れると、次のような偈を唱えました。
「この大地は、全てを支え、全てに対して平等である。大地よ、私の証人になれ」
すると、大地が大きく揺れ、女神が現れました。それを見た魔王は、まいりましたとばかりに退散し、その後、お釈迦さまは決意通りにさとりをひらかれました。『大乗経典ラリタヴィスタラ』より
裕福だった王子の生活に引き戻すような誘惑、妥協を促すような誘惑、野獣や多くの軍勢が攻め入る幻想により恐怖心をもたらそうとするもの、またそうした〝悪魔の誘惑〞(実はお釈迦さま自身の心のうちに生じる葛藤や不安といったもの)だけでなく、飢えや渇き、眠気などの生理的な欲求など、次から次へと襲ってきたといい、お釈迦さまは、それらの誘惑の一つひとつにうち勝つことに努めたのです。
悪魔が悟りを妨害する為に大軍を送りましたが、お釈迦さまはこれをことごとく調伏し、49日間におよぶ瞑想によってそれらにうち勝ち、最高の境地であるさとりを得て「菩薩(修行者)」から「仏陀(覚醒者)」となりました。
魔物を打ち倒して悟りを得たことを、仏教では「降魔成道(ごうまじょうどう)」といいます。これを祝い12月8日には成道会(え)が行なわれるのです。
そして、この逸話をもとに、成道直前のお釈迦さまの姿として、右手を大地につけた「触地(そくじ/そくち)」の像が作られました。この「触地」の手の形は、やがて「降魔」、すなわち「自らの煩悩に打ち勝つ姿」の象徴として定型化され、「触地印」あるいは「降魔印」と呼ばれるようになります。
出家して6年、お釈迦さま35歳、この日が12月8日未明、明けの明星が輝く時であったといわれ、静かに掌を合わせて「南無仏」ととなえたということです。ガヤー村は後に仏陀が悟った場所として“ブッダガヤ”と呼ばれるようになりました。
このように、お釈迦さまの信念によって興り、日本へと伝わった仏教。さとりを得た際にとなえられた「南無仏」とは〝仏に帰依(きえ)する〞という意味です。浄土宗のお念仏〝南無阿弥陀仏〞も、それと同様〝阿弥陀仏に帰依する〞ということにほかなりません。
12月8日の成道会には、お釈迦さまの苦難を思いつつ、感謝のお念仏をおとなえいたしましょう。