
卯月(うづき)の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものとするのが定説です。卯の花とは白く可憐なウツギの花で、旧暦四月、垣根や野山を雪のように染め上げました。その清らかな白は、初夏の光を受けていっそう際立ち、日本人の季節感を象徴する風景となっています。
一方で、十二支の四番目が「卯」であることから四月を卯月としたという説、また田植えの時期にあたるため「植月(うゑつき)」「苗植月(なへうゑづき)」などが転じたとする農耕由来説も伝わります。さらに「う」は「初(うい)」「産(うぶ)」に通じ、物事のはじまりや誕生を意味する音ともいわれます。春、北へ帰る渡り鳥の羽音に重ねる説もあり、耳に届く季節の気配までも月名に映したのでしょう。
花ひらき、苗が根づき、命が動き出すとき。卯月は、静から動へと移ろう、生命躍動の節目を告げる月なのです。
春の二十四節気 春分 の圓應寺の行事
・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)3月30日頃
春の訪れを告げる雷が鳴り始める頃。「春雷」(しゅんらい)は「虫出しの雷」とも呼ばれています。
春の二十四節気 清明 の圓應寺の行事

清明は「清浄明潔」の略で、万物がけがれなく清らかで生き生きしているという意味です。花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄み、爽やかな風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する頃。各地でお花見シーズンを迎えます。
・玄鳥至(つばめきたる)4月5日頃
燕が南の国から渡ってくる頃。「玄鳥」(げんちょう)とは燕の異名です。
4月 4日 土 12:00 福岡はなまつり「光とさくら願い文」2026

4月 8日 水 14:00 ~響の瞑想(meditation)~圓應寺 読誦行

・鴻雁北(こうがんかえる)4月10日頃
雁が北へ帰っていく頃。雁は夏場をシベリアで、冬は日本で過ごす渡り鳥です。
4月12日 日 18:30 ~動の瞑想(meditation)~圓應寺 礼拝行 『虹始見』

・虹始見(にじはじめてあらわる)4月15日頃
雨上がりに虹が見え始める頃。淡く消えやすい春の虹も次第にくっきりしてきます。
「虹始見」は、雨の後に儚く消えてしまう淡い虹が出始める頃をいいます。「虹」の字は、「虫」(へび)+「工」(つらぬく)。中国では、虹を空にかかる大蛇や竜の一種と見なす風習や伝説が多く、龍虹という地名もあります。オーストラリアや北アメリカ、西アフリカでも同様の伝説が知られ、 日本でも「天竜川」という川の名は 川が曲がりくねっているのは虹のヘビが川を作るからという伝説で付けられたそうです。
また、天下人・徳川家康がお生まれになったとき、城の上に黒雲が渦巻き、風を呼んで金鱗の竜が姿を現したそうです。まさに「王は竜蛇から生まれる」。
江戸幕府初代将軍・徳川家康公は、1616年の4月17日、75歳で亡くなりました。実は、圓應寺では江戸期にこの日を縁日として家康公のお祭りを催していたそうです。
家康公ののぼり旗は有名な「厭離穢土 おんりえど 欣求浄土 ごんぐじょうど」です。
この穢れた現実世界(戦国の世)を離れて極楽浄土(太平の時代)すなわち仏の世界を心から喜んで願い求めるということです。浄土宗には引導の際、松明を1本を落とし(厭離穢土)、残る1本(欣求浄土)で円を描く作法があります。
4月15日 水 9:30 ~淨の瞑想(meditation)~ ココロを磨く、整える 作務

春の二十四節気 穀雨 の圓應寺の行事

穀雨(こくう)とは、春のやわらかな雨が百穀をうるおす頃という意味です。二十四節気のひとつで、田畑にとってはまさに“恵みのしずく”。この時期に種をまけば、雨に助けられてよく育つといわれ、農家にとっては一年の実りを占う大切な節目でもありました。空から静かに落ちる雨粒は、ただの水ではなく、天からの滋養。花を咲かせる雨から、実りを育てる雨へ――季節が一歩、初夏へと進む合図でもあります。穀雨は、自然と人の営みが深く結ばれていることを思い出させてくれる、美しい季節の名なのです。
・葭始生(あしはじめてしょうず)4月20日頃
水辺の葭が芽吹き始める頃。葭は夏に背を伸ばし、秋に黄金色の穂をなびかせます。
・霜止出苗(しもやみてなえいずる)4月25日頃
霜が降りなくなり、苗代で稲の苗が生長する頃。霜は作物の大敵とされています。
4月25日 土 11:00 弁財天月法要
4月26日 日 18:30 圓應寺 写経写仏会

・牡丹華(ぼたんはなさく)4月30日頃
牡丹が大きな花を咲かせる頃。豪華で艶やかな牡丹は「百花の王」と呼ばれています。
牡丹華とは、牡丹が開花し始める頃。美しく、存在感があり堂々としている牡丹は「百花の王」そして時としてお釈迦様として例えられる「百獣の王」は獅子。
百獣に君臨する王といわれる無敵の獅子でさえ、ただ一つだけ恐れるものが我身の体毛の中に発生し、増殖し、やがて皮を破り肉に食らいつく「獅子身中の虫」です。
しかし、この害虫は、牡丹の花から滴り落ちる夜露にあたると死んでしまいます。そこで獅子は夜に、牡丹の花の下で休みます。まさに「唐獅子牡丹」。
獅子にとっての安住の地が、そこに在ります。「獅子身中の虫」とは、内部にいながら害をもたらす者や、恩を仇で返す者のたとえなのです。
「あなたにとって、依所となる安住の地はどこでしょう。」
「あなたの中のこの混迷による疲れたココロこそ獅子身中の虫ではないのでしょうか。」
自我の奥にある『もう一人の自分』、の調整をしてこれから長期的に取り組むべき未来への最善を丁寧に進みましょう。

