弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力です。つまり弥生の「弥」はいよいよ・ますます、「生」は草木が芽吹くことを意味しています。草木がだんだんと芽吹く時期をさす言葉なのです。
春の二十四節気 雨水 の圓應寺の行事
・草木萌動(そうもくめばえいずる)2月28日頃
草木が芽吹き始める頃。草の芽が萌え出すことを「草萌え」(くさもえ)と言います。
三月三日は皆さまご存知、桃の節句ひなまつりです。
ひな祭りの起源は、300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼります。「上巳(じょうし/じょうみ)」とは旧暦3月の最初の巳の日こと。のちに行事の日付が変動しないよう、3月3日となりましたが、もともとは女の子のお祭りではなく、春を寿ぎ、 厄を人形(ひとがた)に付けて水に流し、 無病息災を願う厄祓い行事だったのです。
3月 3日 日 15:00 圓應寺ひな祭り祈願
水で穢れを祓う「上巳節」
上巳のころは季節の変わり目で、災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、古代中国では、この日に水辺で穢れを祓う習慣がありました。この上巳節が遣唐使によって日本に伝えられると、宮中行事として取り入れられ、「上巳の祓い」として「曲水の宴」を催したり、禊(みそぎ)の神事と結びつき、紙や草で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流したりするようになりました。今でも一部地域でみられる「流し雛」は、この名残です。
当寺では八つ時(3時)阿弥陀経に説かれる「八功徳水」の功徳にて香を溶かした聖水(香水)を用い、ご祈願を致します。
三月三日三時と3が3つ重なり、八方広がりを見せる八つ時とは「おやつ」の語源です。とてもめでたい数が重なるご祈願と茶話となります。
桃パワーで邪気を祓う「桃の節供」
5月5日の男の子の節供に対して、3月3日が女の子の節供となり、別名「桃の節供」として定着していきました。桃の節供というのは、桃の開花期に重なるというだけでなく、桃の木が邪気を祓う神聖な木と考えられていたからです。
頒布物として魔を祓う桃の枝をお持ち帰りいただきます。ご自宅に活けてくださいますと、魔を寄せません。それから当日限定のご朱印を発行致します。
内裏(だいり)びなの飾り方
日本古来の並べ方は、左上位の考え方により向かって右に男びな、左に女びな(人形側から見ると、左上位で左に男びな)でした。 今でも伝統を重んじる京都などでは、日本古来の並べ方です。
昭和天皇が国際マナーに則して右上位に並ぶようになってからは、向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになりました。
さげもん
福岡県柳川市の「さげもん」は、布製の手作りの飾り物を7個7列49個と、中央に大きな柳川まりを2個下げて合計51個の飾り物をさげてあります。これは「人生50年」といわれた時代、1年でも多く長生きできるようにとの願いが込められています。
飾り物には、「這い人形(赤ちゃんの成長を願って)」、「三番叟(めでたい踊り)」、「桜(皆に愛されるように)」、「海老(年をとっても元気)」などの他、たくさんの縁起物があり、さげもん一対をひな壇の両側につるして飾ります。
春の二十四節気 啓蟄 の圓應寺の行事
大地が温まって、冬ごもりから目覚めた虫が、穴をひらいて顔を出す頃。「啓」はひらく、「蟄」は土の中にとじこもっていた虫(蛙や蛇)という意味です。ひと雨ごとに暖かくなり、日差しも春めいて、生き物が再び活動し始めます。
・蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)3月5日頃
戸を啓いて顔を出すかのように、冬ごもりをしていた生きものが姿を表す頃。
3月 6日 水 11:00 弁財天月法要
3月 7日 木 14:00 ~武の瞑想(meditation)~ 拳禅一如
・桃始笑(ももはじめてさく)3月10日頃
桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。
3月10日 日 18:00 ~静の瞑想(meditation)~ 観察行(瞑想会)『彼岸』
3月12日 火 13:00 ~響の瞑想(meditation)~圓應寺 読誦行
・菜虫化蝶(なむしちょうとなる)3月15日頃
青虫が紋白蝶になる頃。「菜虫」は菜を食べる青虫のこと。菜の花が咲いてまさに春本番。
3月15日 金 9:30 ~淨の瞑想(meditation)~ ココロを磨く、整える 作務
春の二十四節気 春分 の圓應寺の行事
昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に昼間の時間が長くなっていきます。祝日法によると、春分の日は『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』、 秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』となっています。また、春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、 秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもあります。
春分の日の前後3日間、合計7日間は春の彼岸(春彼岸)といい、先祖の墓参りをする習慣があります。仏教では、あの世は西に、この世は東にあるとされ、太陽が真東から昇って、真西に沈む春分の日と秋分の日は、あの世とこの世が最も通じやすい日と考えられ、春と秋の彼岸にお墓参りをするようになったのです。
・雀始巣(すずめはじめてすくう)3月20日頃
雀が巣を作り始める頃。昼の時間が少しずつ伸び、多くの小鳥たちが繁殖期を迎えます。
3月19日 火 11:00 圓應寺 春彼岸会法要(檀)
彼岸といえばお墓参りが頭に浮かびますが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説があります。また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。
春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸」(しがん)といいます。
そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
まるで彼岸に合わせたかのように、秋分のころに咲く彼岸花。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という別名は、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味します。
1日に10㎝以上も伸び、球根には毒がありますが、昔は水にさらして毒を抜き、万一の時の非常食にもなりました。
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春の彼岸には「ぼたもち」
お彼岸のお供えものの定番といえば、「ぼたもち」や「おはぎ」。どちらも、もち米とうるち米を混ぜて炊き、適度につぶして丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子ですが、春は春に咲く牡丹にちなんで「牡丹餅」といい、秋は秋に咲く萩にちなんで「御萩」というようになりました。また、小豆は秋に収穫されるので、春はかたくなった皮を取ったこしあん、秋は皮ごと使った粒あんを使っていました。そのため、本来「牡丹餅」はこしあん、「御萩」は粒あんを使って作ります。
また、おもちは五穀豊穣、小豆は魔除けに通じることもあり、日本の行事に欠かせないものです。昔は甘いものが貴重だったため、 ぼたもちといえばご馳走で、大切なお客様、お祝い、寄り合いなどでふるまわれ、法要の際にも必ずお供えしていました。思いがけずよいことがあることを 「棚からぼたもち」といい、幸運の象徴にされていることからも、いかに人々の暮らしに根付いていたかがわかります。
3月28日 木 14:00 ~武の瞑想(meditation)~ 拳禅一如
・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)3月30日頃
春の訪れを告げる雷が鳴り始める頃。「春雷」(しゅんらい)は「虫出しの雷」とも呼ばれています。