一月の旧い呼び方は、睦月(むつき)。睦月という名は、親族一同が集まって宴をするという意味の「睦び月(むつびつき)」が最も有力な由来だといいます。ことはじめの月に特別に仲がよいことを表す“睦まじい”という文字を使うのは、“和”や“輪”を大切にする日本人の心の表れです。
睦び月とは、仲良くすること・仲睦まじいこと・互いに親しみ合うなどの意味を持つ「睦び合い」の宴は、お正月に家族や親族が集まるということです。
ほかにも、「始まる・元になる月」である「元月(もとつき)」が転じて「むつき」になったという説、稲の実を水に浸す月である「実月(むつき)」が転じたという説などがあります。
冬の二十四節気 冬至 の圓應寺の行事
・雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)1月1日頃
雪の下で麦が芽をだす頃。浮き上がった芽を踏む「麦踏み」は日本独特の風習です。
正月 元旦
本来「正月」は1月の別称ですが、1日が元旦、3日までを三が日、7日までを松の内といい、さらに1月15日の「小正月」まで、さまざまなお正月行事が行われます。
1月を「睦月」と呼ぶのも、正月に一家揃って睦みあう様子を表したもの。
多くの方がお正月を家族で過ごし、当たり前のようにおせちを食べたり、お年玉のやりとりをしたりしていますが、一つ一つのものごとにも大切な意味が込められています。
1月 1日 月 0:00 修正会「照福光の除夜詣り」
特別御朱印の授与頒布
1月1日 月 12:00 初大国天 天赦日+一粒万倍日+甲子の日+元旦 超最強開運日
年神様は祖霊神(ご先祖さまの霊)
昔から、元旦には「年神様」(としがみさま)という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるとされています。年神様は祖霊神であり、仏教でいうところのご先祖さまの霊位です。また 年神様は、田の神、山の神でもあります。そのため、年神様は子孫繁栄や五穀豊穣に深く関わり、人々に健康や幸福を授けるとされていて、「正月様」、「歳徳神」(としとくじん)とも呼ばれています。
その年神様を迎え入れてお祝いし、たくさんの幸せを授けてもらうために、様々な正月行事や風習が生まれました。
おなじみの「明けましておめでとうございます」という挨拶には、無事に年を越し年神様をお迎えできた慶びと感謝の気持ちが込められています。
鏡餅は年神様の依り代(お位牌の役目をする)
昔も今も祝いごとや祭りなどの時によく登場する餅。餅は稲の霊が宿るハレの日の食べもので、食べると生命力が与えられると考えられ、神様に捧げる神聖なものだったのです。
正月には鏡餅を飾り、雑煮をいただきます。実は、鏡餅を知ることでお正月の本当の意味がわかってきます。
元旦には「年神様」(としがみさま)という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるとされています。お迎えした年神様の依り代(よりしろ)、つまり居場所が「鏡餅」なのです。
大晦日と年神様
正月にやってくる歳神(年神)様をお迎えする準備として、大晦日は昔から一年で溜まった厄や穢(けが)れを祓う日だとされており、お寺では人間の煩悩の数と同じ108回の鐘を打ち鳴らしそれを払うという形で行なわれています。
そして大晦日は、年神様を寝ずに待つ日とされていました。その前にお祓いをするために、寺院では深夜零時をまたいで108回鐘をつきます。怒りや嫉妬など人間にある108の煩悩を鐘の音で絶つためといわれています。
中国で宋の時代から始まったもので、十二か月と二十四節気と七十二候を合わせた数で108という説もあります。一般的には、107回は旧年の内につき、残りの1回は新年につきます。
うっかり寝てしまうと、「シワや白髪が増える」などという恐ろしい言い伝えもあります。どうしても眠くなったら「寝る」ではなく「稲積む」(いねつむ)というと、魔力から逃れられるといいます。
初日の出と元旦
年神様は日の出とともにやってくると考えられていたため、初日の出は年神様の降臨を意味しています。 大晦日の夜に寝ないで「年神様」を待つことを年籠りといいます。 明治以降には、元旦に見晴らしのいい場所へ出掛けて、その年最初の日の出を拝むことが盛んになりました。とくに山頂で迎える日の出を「御来光」といいます。それ以前の元旦には、年神様を迎えるために家族で過ごし、「四方拝」といって東西南北を拝んでいました。「元旦」という言葉には、元日の朝という意味があります。
お年玉とお雑煮
年神様は、新しい年の幸福や恵みとともに、私たちに「魂」を分けてくださると考えられてきました。「魂ってなに?」と思うかもしれませんが、「魂」とは、私たちの生きる力、気力のようなものです。
では、どうやって年神様から「魂」を分けていただくのでしょうか。年神様の「御魂」(みたま)は、年神様が依りつく鏡餅に宿るとされ、この鏡餅の餅玉を分けていただくことで「魂」をいただいたのです。
その年の魂となる「年魂」をあらわす餅玉は、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えました。これがお年玉のルーツで、玉には「魂」という意味があります。
そして、いただいた「魂」を体内に取り込むための料理が「雑煮」です。ですから、お雑煮には必ず餅が入っており、お雑煮を食べないと正月を迎えた気がしないというのも当然なのです。
また、年神様に毎年分けていただく「魂」の数を数えれば年齢になります。母親のお腹の中にいるときにすでに魂があるから誕生時は1歳で、その後は元旦がくるたびにみんな一斉に年をとりました。それが「数え年」です。
祝い箸 「神人共食」は 「合掌」
おせち料理やお雑煮をいただくときは、「祝い箸」を使います。祝い箸は末広がりの八寸(約24センチ)で縁起がよく、「両口箸」「柳箸」「俵箸」とも呼ばれていて、祝い事には欠かせない箸なのです。
「祝い箸」は、両方の先端が細くなっていて、「両口箸」とも呼ばれます。それは、一方は神様用、もう一方を人が使うためで、”神人共食”を意味しています。おせち料理は年神様へお供えし、それを下げていただくもの。新年を祝い、1年の恩恵を授かる意味から年神様と食事を共にするわけです。 両方とも使えるからといって、ひっくり返して取り箸にしたりするのはタブーです。まるで仏さまと自分との心がひとつになる合掌のようなものです。 お寺でもお供え物のお下がりはとてもありがたいものですね。
若水と書き初め
年頭に新年の抱負や目標をしたためます。「吉書」ともいい、元日の早朝に汲んだ神聖な水「若水」で墨をすり、年神様のいる恵方に向かって祝賀や詩歌を書いたことに由来します。恵方とは、その年万事に吉とされる方角で、毎年違います。江戸時代の寺子屋では、普段の練習用の紙ではなく白いきれいな紙に書き、壁などに貼って飾っていました。
書き初めは1月2日に行なわれることが多く、古くは「吉書始め」という宮中行事も行なわれていました。書き初めを書いたら、15日の小正月の左義長で燃やします。正月飾りや書き初めなどを燃やす煙に乗って年神様が天上に帰って行くとされています。その炎が高く上がると字が上達するといわれています。 吉書である「お経」を書き初めするのもいいですね。
冬の二十四節気 小寒 の圓應寺の行事
・芹乃栄(せりすなわちさかう)1月5日頃
芹が盛んに育つ頃。春の七草のひとつで、7日の七草粥に入れて食べられます。
1月6日 土 11:00 初弁財天
人日の日 「七草粥」
「人日」は桃の節供などと並ぶ、五節供のひとつ。ピンとこない方でも、七草粥といえばわかりますね。
1月7日の人日の日に行われ、春の七草を入れた七草粥で邪気を祓います。七草粥は正月行事として定着していますが、本来は「人日の節供」の行事だったのです。
人日とは文字通り “人の日”という意味です。
古代中国では、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの吉凶を占い大切に扱いました。7日は人に刑罰も与えず、7種の若菜を入れた粥を食べ、無病息災や立身出世を願う風習がありました。
この風習が日本へ伝来し、年のはじめに若菜を摘んで、自然界から新しい生命力をいただく「若草摘み」という日本古来の風習と結びついて「七草粥」となり、平安時代の宮中行事になりました。さらに、江戸時代に「人日の節供」(七草の節供)として五節供のひとつに定められ、定着していきました。
また、七草粥が定着した背景には、お正月も関係しています。7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたるので、正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給にもなることから、この日に七草粥を食べることで、新年の無病息災を願うようになりました。
一般的に、七草粥の七草は「春の七草」をさします。春の七草をさらっと言えるとかっこいいですね。簡単に覚えられる方法として、春の七草を「5・7・5・7・7」のリズムに合わせて口ずさんでみるという方法があります。
「せり・なずな / ごぎょう・はこべら / ほとけのざ / すずな・すずしろ / 春の七草」。リズムやメロディーは、歌いやすい歌い方で十分。口ずさみながら自然に覚えられます。
(1) 芹(せり) 水辺の山菜で香りがよく、食欲が増進。 (2) 薺(なずな) 別称はペンペン草。江戸時代にはポピュラーな食材。 (3) 御形(ごぎょう) 別称は母子草で、草餅の元祖。風邪予防や解熱に効果。 (4) 繫縷(はこべら) 目によいビタミンAが豊富で、腹痛の薬にも。 (5) 仏の座(ほとけのざ) 別称はタビラコ。タンポポに似ていて、食物繊維が豊富。 (6) 菘(すずな) 蕪(かぶ)のこと。ビタミンが豊富。 (7) 蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん)のこと。消化を助け、風邪の予防にも。
松の内と注連縄
お正月の飾りに松が使われているのは、松に『神を待つ』と意味が込められている言い伝えがあるからで、松の内は関東では7日、関西では15日となります。
注連縄、注連飾りは松の内が終わったら外し、小正月の左義長(どんど焼き)で燃やします。
1月8日 月 圓應寺成人式
1月9日 火 13:00 ~響の瞑想(meditation)~圓應寺 読誦行 2024.01
・水泉動(しみずあたたかをふくむ)1月10日頃
地中で凍っていた泉が動き始める頃。かすかなあたたかさを愛おしく感じる時期です。
1月10日 水 14:00 ~武の瞑想(meditation)~ 拳禅一如
鏡開き
1月11日の鏡開きで、お供えしていた鏡餅をさげて食べます。鏡餅は、供えたものを食べることに意義があるので、雑煮やおしるこなどにして必ず食べることが大切です。
1月14日 日 17:30 ~静の瞑想~圓應寺マインドフルネス浄土禅『正念』
・雉始雊(きじはじめてなく)1月15日頃
雉が鳴き始める頃。雄がケーンケーンと甲高い声をあげて求愛します。
1月15日 月 9:30 ~淨の瞑想(meditation)~ ココロを磨く、整える 作務
小正月 「左義長」 「小豆粥 」
旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月のこと)にあたり、その昔この日を正月としていたなごりで、元日を「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになりました。
大正月が年神様を迎える行事なのに対し、小正月は豊作祈願や家庭的な行事が多いのが特徴です。大正月を男正月、小正月を女正月ともいい、松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう休息日でもありました。
また、この日に正月飾りなどを焼く「左義長」を行い、正月行事に区切りをつけます。
小正月に正月飾りや書き初めを燃やす行事で、その煙に乗って年神様が天上に帰ってゆくとされています。「左義長」は、三毬杖(さぎちょう)という青竹で正月飾りを焼いたことに由来しますが、「どんど焼き」「とんど」とも呼ばれ、その火で焼いたお餅などを食べると無病息災で過ごせるといわれています。
餅花を飾り、豊作を祈ります。餅花とは紅白の餅で、これを柳などの木に飾りつけ、農耕神の予祝の花とされている桜の花や、実った稲穂に見立てます。地方によっては餅ではなく繭を使い、繭玉と呼びます。餅花は小正月の正月飾りでもあります。
小正月には小豆粥を食べ、無病息災を祈ります。小豆のように赤い色の食べものは邪気を払うと考えられています。祝い事の席には、小豆を使った赤飯などがつきものですね。
冬の二十四節気 大寒 の圓應寺の行事
・款冬華(ふきのはなさく)1月20日頃
雪の下からふきのとうが顔をだす頃。香りが強くほろ苦いふきのとうは早春の味。
1月20日 土 13:00 厄年厄除・八方塞がり厄除祈願祭①
1月24日 水 14:00 ~武の瞑想(meditation)~ 拳禅一如
・水沢腹堅(さわみずこおりつめる)1月25日頃
沢に厚い氷が張りつめる頃。沢に流れる水さえも凍る厳冬ならではの風景です。
1月25日 御 忌 婦人会弁財天法要
1月25日は浄土宗開祖の法然坊源空上人「元祖円光東漸慧成弘覚慈教明照和順法爾大師」810回忌のご命日となります。当寺では檀信徒大法要を6月にいたします。
建暦2年(1212年)1月25日、京都東山大谷(京都市東山区)で極楽浄土に旅立たれました。享年80(満78歳没)でした。死の直前の1月23日には弟子の源智の願いに応じて、遺言書『一枚起請文』を記しています。廟所は現在の知恩院の法然上人御廟の場所に建てられました。
1月27日 土 13:00 厄年厄除・八方塞がり厄除祈願祭②
・鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)1月30日頃
鶏が鳥屋に入って卵を産み始める頃。本来、鶏は冬は産卵せず、春が近づくと卵を産みました。